2003年の秋口から体調不良となり、結局2004年8月にガンの手術を受けた。転移こそないもののステージ3だった。まだ50歳を越えたばかりでサラリーマン稼業も胸突き八丁という状況だったためか前途を悲観している余裕もなく入院まで淡々と目の前のやるべきことをこなし続けた。
入院中の2004年9月8日、まだベッドから降りられない状態のとき、台風18号が北海道に上陸し、強風で多くの災害を出した。病室の窓枠も外れるのではないかと心配になるくらいの強風だった。
2004年9月の風台風被害(野幌森林公園)
入院の前年2003年夏に十勝連峰の北端にあるオプタテシケ山に登っているが、あの登山が最後になるのかと思うと無念にも登り残した山々の名前が頭の中に現れては消えた。
オプタテシケ山から(2003年8月)
退院後も闘病生活が続き2011年に再手術を受けた。その間食生活の改善や体力保持のための軽運動などやれることは積極的にやった。その動機は、もし可能ならまた山に登って写真を撮りたいとの一心からだった。
幸いにもその後は半年に1回の検診を受けながらも小康状態が続き、体力も徐々に回復し、2015年になって登山ができるまでになった。
登山を再開して最初に登ったのは暑寒別岳(1492m)だった。暑寒沢コースから登ったが長いコースで、また山に登れるという喜びをかみしめながら一歩一歩登った。標準タイムを大きくオーバーしてやっとの思いで頂上にたどり着いた。暑寒別岳は標高こそ1400m台だが、大きくて重厚な山だった。頂上からの景色は心に沁みた。
暑寒別岳頂上から(2015年6月)
高山植物が多い山で、特にシラネアオイの薄紫の花には感動し、ずいぶんと時間をかけて撮影した。
暑寒別岳のシラネアオイ
その後は、登れるうちにと、利尻山、カムイエクウチカウシ山、摩周岳、目国内岳、ニセイカウシュッペ山、天塩岳、狩場山、支湧別天狗岳、南クマネシリ岳、三国山と登り、70歳あたりから、そろそろ登山卒業を意識して、最後に登っておきたい山として、トムラウシ山、藻琴山、雌阿寒岳、阿寒富士、羅臼岳などに登った。
予感通りというか、70歳を過ぎて、かつてのガン治療の放射線の後遺症が出てきた。手術後の癒着もあって、徐々に体調が悪化し、昨年は救急車のお世話になることもあった。登山はもう無理と思ったのは、2020年のトムラウシ山途中敗退、そして2021年の三国山、"登れるはず"という意識と実態の乖離を認識し、どうということもない所でよろけたりと、自分の危うさを認識せざるを得ない現実を前にして、周囲に迷惑をかけないうちに幕引きをしなくてはと思うようになった。
2020年から始まったコロナ過がその"思い"を"決意"へと後押しした。遠征が困難になる中、デスクに向かってWeb関連の作業を時として1日10時間も続け、体力がどんどん落ちたのだ。
登山が無理なら車で出かけて車中泊しながら夜明けの写真をと考えもしたが、車の運転にも逆風が吹き始めた。相次ぐ高齢者の事故、免許更新のハードルもどんどん上がり、認知症検査まで課せられるようになった。事前の講習と本来の免許更新で合わせて 11,000 円の負担だった。加えて家族からの運転抑制を意図した声掛けが妙にこたえる。結局、最後のつもりで免許更新をしたが、来春、車での撮影旅行は可能だろうか。
今日はおおみそか。