十勝三股

十勝三股は私が好んで行くところ。約100万年前のカルデラ噴火によってできた十勝三股カルデラのほぼ中心に位置する。森林のなか、広い野原が広がっているだけで特に何もないところ。人の気配があるのは「三股山荘」という食堂兼喫茶店が控え目に営業しているだけで、あとは荒れ野と言える状態。白樺並木に囲まれた国道は景勝地の日勝峠に向けて"さっ"と通り抜ける。

三国峠から十勝三股カルデラ

そんな十勝三股だが、原っぱの中の少し広くなったスペースに車をとめて、吹き抜ける心地よい風を浴びて深呼吸。見渡すと、周りが全て山に囲まれている。カルデラのようにも見えるが、ちょっと不思議な地形で、西側のニペソツ山とウペペサンケ山は明らかに火山で、両山の中間にある丸山は活火山、そして東側のクマネシリ山塊も火山で、東から南側にかけて大きく湾曲した溶岩台地は太古の大規模な溶岩噴火の跡と思う。しかし、平地の北側に西から北東にかけて連なる石狩岳から三国山にかけての山並みは、どう見ても火山とは思えない山容をしている。

国道273号線 十勝三股

かつて石狩岳に登ったときのこと、登山口になる音更川上流の21の沢で、規模の大きな砂利の堆積層を見つけた。下流にあるはずの砂利がこんな原流域の地層の中にあるはずがない。それを見てこれは明らかに火山とは異なる生い立ちの山塊に違いないと確信した。

この山塊は地図の等高線を見ると、どちらかというと日高の山に似ているような気がする。比較的高低差の少ない吊り尾根が連なり、沢に向けて直線的に削られた地形で、ここはやはり火山というよりは隆起した地形ではないかと思う。私には地質の知識がほとんどなく、図書館の本やネットから得た知識では、北海道は稚内から襟裳岬にかけてのラインでユーラシアプレートと北米プレートが接しているところ、東の北米プレートはさらに、2分して南半分が太平洋プレートとして南西方向に動いているとのこと。その南側の接点が日高山脈で、北西側の接点の奥まった部分がこの十勝三股付近ということの様だ。衝突によって隆起し、そのまま残っているのが石狩岳の山塊で、その割れ目から噴火したのが東西のニペソツとクマネシリの山塊ということで納得した。

三脚を立てて、フレームを決めた後は石狩岳と雲との絶妙な配置をひたすら待つ。時折、離れた国道を通過する車の音がわずかに聞こえるだけで、風の音が聞こえそうな静かな野原で、景色を堪能しながら、旨いコーヒーを淹れ、リッチな時間を過ごすことができる。

十勝三股(背景は石狩連峰)

ところで、この十勝三股は、かつて木材の搬出基地として栄え、たくさんの建物が建っていた。国鉄の駅もあった。そう士幌線の終着駅だ。期しくも石狩岳の標高と同じ1967年ころ、私は住んでいた北見からバイクで置戸を経由して常呂川上流の林道を詰め、勝北峠を越えて十勝三股に入った。峠付近からはニペソツ山塊が視界に入り、北見の周辺では見られないダイナミックな山容に心を奪われた記憶がよみがえる。

勝北峠からニペソツ山塊を望む

下って、街に近づくと、いくつもの工場の煙突から煙が立ち上っていた。神社もあった。それまでの林道が鬱蒼として長い道のりだったため、活気ある街に出てほっとしたものだ。懐かしい記憶になっている。兄から借りたASAHI PENTAX SPで撮った写真が残っている。

十勝三股の街(1967年頃)

夏にかけてこの荒れ野にルピナスが咲いている。昔は昇り藤と言っていた花だが、元来は外来種で、戦後、北米から園芸種として導入されたものと聞く。自分も子供のころ、庭で咲き乱れていたこのノボリフジを綺麗な花として記憶している。

その園芸種が、ここ十勝三股の野に咲いているということは、かつてここに人が住んでいたということだ。短い歴史の北海道とはいえ、かつて入植した人たちの生活がここにあったという証でもあるのだ。

自生するルピナス

2017年の夏、かつての足跡をたどろうと十勝三股を訪れた。昔の写真を見ながら撮影地点を探し、とりあえず、似たようなところを見つけた。当時とは全く異なる雰囲気ではあるが、背景の石狩岳山群は全く変わっていないように見える。街が消えて荒れ野になり、樹高が高くなっている。貨車入替え用のハンプの地形も残っている。

十勝三股(1967年頃)

十勝三股(2017年)

また、2019年には勝北峠を通過すべく、置戸側から常呂川源流域の道に入った。この道は町道で、道路標識などは往時の雰囲気が残っているが、路肩の崩壊が多く、応急修理されているものの、通行は容易ではなかった。

荒れた道

かろうじて峠まで到達することができたが、そこから先はあきらめて引き返すこととした。この先を下ると十勝側の国道273号線に出るのだが、その間は「置戸越林道」となっており、通常時は閉鎖されている。そのため、峠から先に進んでもいずれ閉鎖されたゲートに到達するか、首尾よく国道まで到達できたとしても出口が閉鎖されている。結局そこから戻ることになる。あらかじめ上士幌の森林事務所で許可が取れて鍵を借用しておけば問題ないのかもしれないが、最低車高14cmの街乗り車ではこれ以上は避けた方が無難と判断した。ここまでで十分に冒険なのかもしれない。

勝北峠の標識

おそらくは林道として残るのであろうが、この懐かしい道の心地良い雰囲気を存分に味わいながら戻ってきた。

町道常呂川本流線

しかし、翌年2020年に再訪したときは、もう通行止めになっていた。利用者の減少により、すでに役目を終えた道路の維持は困難ということなのだろう。成長に向けて躍動する昭和の活気が消え、成熟と人口減少、とりわけ林業の衰退がこの地域の衰退につながったという現実を目の当たりにすることとなった。

通行止め手前の標識

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