北海道では1966年に開始した春熊の駆除を1990年に廃止し、それまでの「積極的な駆除」から「保護」へと切り替えた。
「積極的な駆除」とは春熊の計画的な駆除で、冬眠明けを狙った効率的かつ積極的な駆除方法で、「保護」とは、人間の生活に支障のある個体を選別的に許可制にて駆除する方法のようだ。
その結果、ヒグマの生息数は1990年の約5200頭から現在は約12000頭超えと2倍以上に増えている。そして、ヒグマの捕獲件数は1989年の200~300頭を底に増加に転じ、現在では1000頭を超える規模と、4倍程度に増えている。
このことから、生息数に対する捕獲数の割合は、5%程度から10%弱程度に増えていることがわかる。
その原因を単純に考えると、ヒグマの生息域が窮屈になってきており、里山に押し出されてきていると考えることもできる。
そして、この傾向が1990年以降変わらぬトレンドとして継続してきていることは、山の不作といった一過性の原因によるものだけではないことを示していると思う。
積極的に駆除するとしても絶対数が少ない中では駆除数がなかなか増えないのと、有害獣として里山に出現して結果として駆除される場合の駆除効率の違いが表れているのかもしれない。
今年は出没件数が過去3年間すなわち例年に比べても異常ともいえる増え方で6月時点ですでに前年の倍のペースになっている。人身事故の件数も半年で既に例年の件数となっている。このことはトレンドに重ねて"山の不作"がさらなる上積みとなっているのかもしれない。
専門外の素人の感覚だが、出没数の増加はヒグマの個体数の増加が原因だと思う。
それは、1990年以降、ヒグマの出没件数が右肩上がりで増え続けてきたからも納得できる。
さて、ヒグマの個体数の増加が人間の生活圏との線引きの変更を迫る事態になってきているとしたら、我々はどうするべきなのだろうか。
歴史という視点から見ると、明治以降、開拓者たちの努力によって森が開かれ、野生動物が森の奥に追いやられてきた経緯がある。つまり人間の生活圏の拡大がヒグマの生息域を圧迫してきたわけで、その結果として現在の形がある。
そこから考えられるのは、人間が生活圏の維持を怠ると、野生動物の生息圏回復の圧迫を受けるということで、そこには常に一定の緊張関係が存在するということだと思う。
人間が生活圏の維持を怠るということはどういうことか、野生動物の保護を優先するあまり、春熊駆除などの地道な個体数管理などの施策を怠ることだと思う。「共存」という曖昧な概念だけで納得してはいけないと思う。
クマさんだけではなく、ウシさんも、ブタさんも、鳥さんも、特に子供はかわいい存在で、ペットとの違いはわずかだと思う。
人間の存在そのものが野生動物たちにとって残酷な存在であることを忘れてはいけないと思う。